錦絵から見る明治期の沓掛酒造
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- 書いた人 : 沓掛(兄)
兄です。
最近あいさつが「暑いですね」から一日が始まるようになってきました。
長野県も暑く、先日は上田の最高気温が33.8度と全国5位の記録を出すなど、本格的な夏がもうそこまで迫ってきています。
沓掛酒造では福無量の夏酒の出荷を開始しました。
ぜひお試しください。
売店前では桑の木に実がなって来ています。
小学生の頃は通学路などで赤い実がなっていると取りたくなりました。
小学校まで片道30分くらいの道を何かと寄り道して1時間くらいかかって帰ってきたものです。
元々この地元である上田市、特に沓掛酒造のある塩尻地域は昔より養蚕が盛んでした。
小学校までの通学路には養蚕で盛んだった名家の家々が立ち並んでいます。
これらの地域では「佐藤さん」や「馬場さん」、「沓掛さん」や「母袋(もたい)さん」が多く、小学校の学年に各名字が一人は居たような気がします。
特に馬場さんのおうちの門はとても立派であった記憶が幼いながらあります。
そして、うちから徒歩10分ほどの所に日本三大紬の1つといわれる「上田紬」の工房である小岩井紬工房(http://www13.ueda.ne.jp/~koiwai-tsumugi/)があります。
今でも手織りを貫き、上田紬の伝統を伝えております。
なぜ蚕のお話をしたかというと、沓掛酒造は創業当時は酒造業の他に養蚕業も兼業としていたと伝えられております。
↑これは明治時代に作成された錦絵で、シリーズの中の一部に沓掛酒造が描かれたものです。
子供の頃祖母にこの絵を見せられて以来、長らくこの絵の行方が不明だったのですが、私が7年前に戻って来た際、実家の仏壇の棚を整理していた時に見つけました。
(ちなみに、子供の頃、昔この辺りは海だったと本気で勘違いしていたのは恥ずかしい思い出です。)
この絵は、社長が幼少の頃の建物などは全く同じ配置だったそうです。
そしてここの部分。
棚のようなものが写っていますね。
ここで蚕を育てていたと思われます。
ここで育てられた蚕が作った絹が、目の前の北国街道を通り江戸にも行ったのかなぁと思いを馳せたりします。
塩尻地区にはまだまだ当時の面影が残っている所がありますので、折を見てまたご紹介できればと思います。